関西人なので、関西弁が怖く聞こえるという意見に対してうーんそーかなー?としか思えなかったんだけど、ある程度状況を限定すれば同意できる気がした。それは関東弁(標準語と言わない辺りアレ)を使う複数人に対して関西弁が一人の場合だ。
もし関西弁使いが二人以上いればお互いがお互いのペースメーカーとなって口調を保てるのだが、状況に慣れているかよっぽど自我が強いかしなければ、一人では場の喋り口調に侵食される。我の強いと言われるような関西弁でもだ。場が関東弁で展開されていると素の関西弁では応対しづらい。変になまった関西弁になってしまう。このなまり方は抑揚の大袈裟ではない関東弁に影響されるのでもちろん抑揚が抑えられ、言葉の選択も微妙に変化する。
またペースを乱すとはつまり普段通りに喋れないという事で、言葉を発するタイミングを上手く掴めず、関西弁の場であれば数行分喋る所を一行分しか喋れなくなる。キツイ言葉と言われるような所謂”ツッコミ”で始まり色々バカな事とかフォローとか喋った後、総じての印象を柔らげるのが、入口のキツイ言葉と数言で終わってしまう。
結局、普段通りにいかず上手く喋れていない自分を感じぎこちなさに慣れないせいで言葉数も減り、会話の中で構築されていく個人のイメージのためのパーツが何やら尖ったものばかりになるのではないか。
途中に例文を挟もうと思ったのだけれど上手い例を思いつかなかったのが私の負けだ。いやしかしいざ関東弁の中に放り込まれると実際口調が安定しないのですよ。両方を悪い具合に混ぜたようになって喋る事自体が気持ち悪くなる、とは言い過ぎですが。気持ち良くはない。ありませんか?関西弁erがなんかキツイ物言いだけで口を閉じちゃって一瞬場が”そんなにキツく断じなくてもいいじゃない……”みたいな空気になる事。ちゃうねん、それは大袈裟にゆーてるだけやねん、ほんでその後に色々ゆーてちっちゃい笑いが取れるってゆー反射でやってもーてんねん。せやけどそのゆーた瞬間に気づくんよ。あ、なんかこのまま続けるにはパス受けてくれる奴がおらなあかん、でもおらへん、しかもなんか自分の勢いもいつのまにか萎えてる。こらあかん。ってな感じでシューて落ち着いてしまうんよ。んでも言うた事自体は完全には嘘ではないからそれ自体の否定もできない。こんな感じなんですよ。わかる?わかんねーよね。俺もわかんねー。
と、いうのを関西弁一人という状況の会話を聞いていて思いました。あぁそりゃ怖いって言われるよ。聞いてる私もなにこの人怖いとか思っちゃったもの。抑揚無く普通のトーンで(もしくはワッと)”おかしいんちゃうか”とか言われたらもう何も言えませんよ。もし次に意に沿わない事言ったら怒りだしそうだもの。違うんです、本当はもっとコミカルに”いやいやおかしいやろ!それは~~”とか笑いながら言いたかったりするんです。
なので関東弁er複数で関西弁erを囲んで会話が発生した場合、お願いです、あんまり口調で人柄を判断したり、トスを打つのを躊躇しないであげてください。関東弁に慣れてないんです、普段はもっと感じのいい喋りができるんです。面倒な相手だとは思いますが堪忍してやって下さい。上手に扱うととてもかわいい子なんです。関西弁erに対する理解がもし1mmでも深まったなら、それは愛です。人と人とを結ぶ確かな愛です。どうか愛を、その愛を忘れないで……。
ところで。
愛・おぼえていますか。私、先日誕生日でした。その愛をもってなんか下さい。タバコとか嬉しいです。お金はもっと嬉しいです。